親父、交通事故に遭う。

この日、俺は休みで彼女と横浜にでかけていた。


15時30分、母親から携帯電話に留守電が入る。
「緊急の用件なので至急連絡ください」
30分ほどしてせっぱ詰まった母親の声で録音された留守電に気づく。
急いで電話してみると、母親が泣きそうな声で報告してくれた。

父が職場の敷地内で交通事故にあった。

まだ状況がほとんどわかっておらず、病院もわからないからまた連絡するとのこと。
焦る気持ちを抑えつつ収容先病院の連絡を待ってから、彼女には電車で帰ってもらった。


16時頃、病院は聖路加国際病院との連絡を受け、ナビに入力。
時間帯的に嫌な予感がした。そして、お盆前。
そう、高速道路も一般道路も大渋滞。
過ぎてゆく時間、縮まらない病院までの距離。
焦って自分も事故を起こしてはならぬと言い聞かせながら運転し、
その間はただただ祈るしかなかった。


18時頃、メールで弟から連絡が入る。
父に会えたらしい。
まだ処置やら検査やらがあるので、時間がかかるとのこと。


18時半頃、あまりに到着が遅れていたため弟から電話が入る。
運転中だったが、構わず電話を取った。
簡単に事故と容態の説明を聞く。
自転車で移動中、2tトラックに自転車の後輪を引っかけられたらしい。
今のところ命に別状はなく、意識もあるとのこと。


19時過ぎ、やっと病院に到着。
家族と事故を起こした加害者と保険屋が救急救命センターの前で待っていた。
搬送されてから、4時間近く経つのにまだ処置が終わっていない。
加害者が謝ってきたが、それより親父が心配なので適当にあしらう。
とりあえず、家に置いてきた飼い犬のこともあるため、弟を帰らせる。


22時を過ぎた頃だったか、やっと担当の看護師さんが呼びに来てくれた。
検査と処置が終わったらしい。
やっと親父に会えたが、それは見るに堪えない姿だった。
処置室に入ってその姿を見たとき、血の気が引いて少し目眩がしてしまい、出された椅子に座り込んでしまった。
一緒に中に入った母親にそのことを悟られまいと、必死に親父に声をかけた。
俺のことも理解できるし、意識もしっかりしていて会話も普通にできたのでほっとした。
身体のあちこちをぶつけてかなり痛いらしく、少し苦しそうだった。
事故の前後は何があったのか、全然覚えてないらしい。
気がついたら、ここだったと言っていた。
店は親戚が助けてくれているから大丈夫だと伝え、今後もこっちでなんとかするからと安心させる。
とにかく肩が痛いと呻いていたが、安心させたら少し眠ったようだった。


最後に上半身のレントゲン撮影を行い、担当の脳外科の先生に呼ばれて説明を受けた。
時系列に沿って親父が受けた処置、および検査に関して一通りの説明をしてくれた。
第1通報者は通行人で立ち去ってしまったため、事故の状況は詳細がわからないらしかった。
事故後、15分ぐらいは脳しんとうで意識がなかったが、救急車の中で回復し会話ができたという。
(本人は覚えていないと後に言っていた)
左後頭部に裂傷(レントゲンにはっきり映るえぐられているような傷)があり、縫合すること6針。
全身のレントゲン撮影の結果、骨に関しては骨折はおろかヒビすら入っていない。
CT、MRI検査の結果、脊髄や筋肉などの損傷、脳内の出血なども見られない。
今のところ意識障害などの症状もなく安定はしているが、頭を強打しているためしばらく経過観察が必要とのこと。
入院は必須で、大事を取って集中治療室に入れてもらえることに。


入院に関する説明を軽く受ける。
さすが大病院だけあって補償金の額がすごい。
20万だって。
といっても、こんな時間に用意できるわけもなく、次の日に加害者側の会社の人間と
待ち合わせて入院手続きをすることに。


23時過ぎ、5Fの集中治療室へと移動開始。
移動前に救急救命センターの看護師さんから、事故当時に親父が身につけていたものをわたされる。
ほぼ全てが血まみれで、処置の時に切り刻まれてしまったので使い物にならないとのこと。
かなりグロいので今は見ない方がいいと言われ、ビニール袋にまとめて入れてもらい受け取る。


集中治療室へと移される。
一通り説明を受け、結構な量の書類に必要事項を記入する。
急激な容態の変化にも即対応できるように、24時間監視してくれるいわゆるICUだ。
容態は安定しているとはいえ、まだまだわからないということか。
一晩何もなければ個室に移れるという説明を受け少し安心したが、
できることなら自分が24時間付いていてあげたかった。
しかし、よほどのことでもない限り付添人はNGとのことで、今日のところは帰宅することに。
親父にはとにかく何も考えずに休むよう伝え、眠らせた。


24時近く、担当医と看護師さんによくお願いし、母親と共にICUをあとにした。
守衛の人に駐車場出口を開けてもらい、帰宅の途につく。


家に着いてからまず、一緒に仕事をしていて事故後のフォローをしてくれた親戚に連絡し、次の日の仕事の相談をする。
お盆休み直前だったということが幸いし、親戚が集まってなんとかフォローしてくれるとのことだった。
1日乗り切れば、親父の職場も16日までは休みだから、なんとかがんばってみると言ってくれた。
頼るしかなかった。


その後入院に関する書類に目を通し、一般病棟に移れるかはわからないが入院に必要な物品の準備をする。
弟が買っておいてくれた弁当もあまり喉を通らず、座って落ち着いたのは2時近くだった。


そして、長い1日が終わった。